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映画『焼肉ドラゴン』より大谷亮平にインタビュー

—舞台が大阪ということで関西の皆さんには親近感を持って観ていただけるかもしれませんね。
そうですね。伊丹空港の周辺が舞台で、万博博覧会の話も出てきます。でも、実際に大阪に住んでいた時は、在日韓国人に対する偏見や差別があったことを知りませんでした。後になって、そう言えば高校を卒業してから部活のメンバーが在日韓国人であったことを周りから伝え聞いて、自分からは言い出せないような環境が僕が高校生の時くらいの時代にもあったんだなと考えさせられました。今作はその20~30年前くらいの話ですから、もっと大変だったと思います。それをリアルに描く作品ではないですが、いろいろな障害を乗り越えながら日本人が韓国人に結婚を求めるという僕が演じた役を通して知ってもらえたら嬉しいですね。

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—日韓合作という面で苦労した点はありますか?
過去にも日韓合作の作品に出演したことがありますが、やはり難しいことがたくさんあります。スタッフにも日本人と韓国人がいて、システムの違いや考えの違いがあるので、意見がなかなか上手くまとまらないところも多々出てくるんですよね。今回の現場もいろいろぶつかるんだろうなと思って、どちらの言葉も喋れて、両国のことを知っている僕が「そういう面でも手伝えたらいいな」と意気込んでいました。自分から進んで通訳をするなど張り切っていたんですけど、撮影が進むにつれて皆さん普通にコミュニケーションを取れていて(笑)。韓国のキャストの方々はすごくフレンドリーでノリが良い人ばかりで、撮影が始まってすぐに食事に誘ってくれたり、休憩中も「あれ?日本語ベラベラ喋れる人だったっけ?」って戸惑うくらい会話を楽しんでいたり。僕は一歩離れたところから家族を見ている役でしたが、そのようなコミュニケーションがあったから自然と家族の色ができていったんじゃないかなと思います。易々と入っていけないくらいの家族の強い絆があったので、そこに入っていきたいんだけど簡単に入ってはいけない、でも熱い想いをもってぶつかるみたいな心情を心がけて演じました。あの家族の雰囲気は羨ましかったですね…家族6人以外のキャストは皆思ったんじゃないかな。

—大阪出身の大谷さんにとってはお手の物だったと思いますが、共演者の皆さんは大阪弁に苦労していたのでは?
僕はいつも現場に合わせて標準語と大阪弁を自然と使い分けて話しているんですけど、今作では1970年代の大阪弁が使われているので難しいところもありました。当時の大阪弁を指導する方が常に現場にいて、皆さんに細かい指導をしてくださっていました。気持ちが入るシーンが多いのに大阪弁のニュアンスが違うというところで何テイクも撮り直しになって、皆さん苦労されていましたね。

 

—鄭義信監督自身の戯曲を映画化したということもあり、監督からの細かい演技指導などもあったのでは?
演技指導というのはあまりなく、唯一あったのが「もっと情けない感じ、頼りない感じで」というものでした。なので、当時の日本人が在日の家族の中に入っていく難しさや自己主張することの難しさ、家族の感動的なシーンに入っていく自分の役割とは…ということを常に考えてやっていました。その一貫性が良かったのかもしれません。

—ラストに描かれる“大きな決断”では、男気がある部分も見えてきますね。
長谷川としては、相当な覚悟を持って、相手(美花)の親に挨拶に行ったんだと思います。僕自身はまだ好きな相手にプロポーズした経験はありませんし、しかも時代背景が今と全く違いますから、このシーンは実際に現場に入らないと何もわからない状況でした。実際にプロポーズのシーンを撮影した時に、美花役の桜庭さんが肩に手を乗せて、背中を押してくれているような演技をしてくれて。そこで感情がグッと入って「アボジ(お父さん)、オモニ(お母さん)」という言葉が自然と出た感じがしました。「日本人が在日の家族の中に入っていく難しさはわかっていますが、どうかお嬢さんを僕にください!」という思いが溢れ、この映画を通して一番気持ちが入ったシーンですね。まぁ、かっこいいことを言いながらも不倫なんですけど…(笑)。

—その場面は、お父さんが内に秘めていた思いを吐露するシーンでもありますね。
「自分たちは苦しんで苦しんで、ここまで差別を受けてきて、唯一残っているこの土地まで奪うのか」と泣きついて怒るお父さんの演技には僕も胸を打たれました。何もかもを奪われて、終いには家族と必死に生きてきたこの土地まで奪うのかと。高度経済成長期の裏側で起きていた出来事を改めて考えさせられるシーンだと思います。

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