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神戸の街を見守るふっくら美男子な大仏さん

能福寺の「兵庫大仏」に会いに行ってきました 神戸市兵庫区

神戸市兵庫区の閑静な住宅街の一角を歩いていると、突如出現する“巨大な大仏さま”。あまりにも唐突に現れるので、初見の方は間違いなく度肝を抜かれることでしょう。
能福寺の「兵庫大仏」に会いに行ってきました 神戸市兵庫区 [画像]
その名は“兵庫大仏”。1200年以上の歴史を誇る『能福寺』の境内に鎮座しており、台座を含めた高さは約18メートル!西洋文化のイメージが強い神戸の街になぜ巨大大仏が存在するのか、実際にお寺を訪れ、誕生秘話を伺ってきました。
5B出口から出るのがオススメ 5B出口から出るのがオススメ
お寺の最寄り駅は阪急新開地駅もしくはJR兵庫駅。今回は新開地駅から向かうことに。
能福寺の「兵庫大仏」に会いに行ってきました 神戸市兵庫区 [画像]
駅からお寺までは歩いて約15分ほど。周辺はいたって普通の住宅街なので、「本当にここに大仏が…?」と若干不安を覚えつつも先に進みます。すると…、
突然のエンカウントに大興奮しました! 突然のエンカウントに大興奮しました!
?! あの特徴的な「螺髪(らほつ)」は…!
塀の上からお顔をのぞかせる大仏さま 塀の上からお顔をのぞかせる大仏さま
奈良の大仏、鎌倉の大仏とともに“日本三大仏”とも称される兵庫の大仏さま 奈良の大仏、鎌倉の大仏とともに“日本三大仏”とも称される兵庫の大仏さま
ついに『能福寺』を発見。塀の上から大仏さまのお顔を確認することができます。これは、大きいぞ…!
取材当日は修繕工事が行われていたので、台座にのぼることはできませんでした。残念…! 取材当日は修繕工事が行われていたので、台座にのぼることはできませんでした。残念…!
境内に足を踏み入れ、大仏さまとご対面。圧倒的な存在感に、思わず足を止めてしまう筆者。大仏さまと向かい合ったまま、しばしの時をすごします。あ、住職さんにご挨拶へ行かないと…!
能福寺26世住職の雲井雄善さん 能福寺26世住職の雲井雄善さん
挨拶を済ませ、能福寺の26世住職である雲井住職にお寺や兵庫大仏の歴史について話を伺いました。
『月輪影殿(本堂)』
歴代皇族の墓所として知られる京都東山「月輪御陵」の拝殿を昭和29年に移築した、由緒ある建物です 『月輪影殿(本堂)』
歴代皇族の墓所として知られる京都東山「月輪御陵」の拝殿を昭和29年に移築した、由緒ある建物です

能福寺は、日本に天台宗を広めた最澄(さいちょう)伝教大師が、唐(現在の中国)への留学の帰り道、瀬戸内海から兵庫・大輪田泊(現・兵庫港)に上陸された際に開いたとされるお寺です。

その後、平安時代末期に平清盛(たいらのきよもり)が福原に都を遷都すると、信仰心の篤かった平家は能福寺に帰依し、平家一門からの熱心な寄進を受けてお寺は大きく発展したそうです。
横顔をパシャリ!切れ長な瞳が素敵です♡ 横顔をパシャリ!切れ長な瞳が素敵です♡
時は流れて時代は明治に。新政府の発足と文明開化を契機に、仏教と神道は明確に分けられ、国内に「廃仏毀釈」の波が訪れました。その流れの中で兵庫大仏は誕生します。
明治24(1891)年5月8日に建立された初代「兵庫大仏」。現在の大仏さまと比べてスリムです 明治24(1891)年5月8日に建立された初代「兵庫大仏」。現在の大仏さまと比べてスリムです
政府の要請とはいえ、仏さまをないがしろにしてきたことに不安を覚えた街の人々は「再び仏さまを拝もう!」と決意し、多くの民衆・宗派が一丸となって明治24(1891)年5月8日に初代・兵庫大仏を建立しました。

材料となる“銅”を捻出するために、街に住む多くの女性が家にある銅鏡を寄進したんだとか!
頼りがいのある広い背中も魅力的。安心感が違います 頼りがいのある広い背中も魅力的。安心感が違います
そんな、みんなの力を合わせて作り上げた初代・兵庫大仏ですが、日中戦争・太平洋戦争の激化に伴う「金属類回収令」によって、昭和19(1944)年に解体されることとなりました…。

当時の住職は、人々の心を安んずるために建てられた大仏が人を傷つけ、あやめる道具になることにひどく心を痛めたそうです。そして、次代の住職に「いつか必ず大仏さまを再建して欲しい」という思いを託されました。
二代目「兵庫大仏」のデザインを監修したのは、天台宗の仏師である故・西村公朝さん。コンセプトは“ふっくら美男子” 二代目「兵庫大仏」のデザインを監修したのは、天台宗の仏師である故・西村公朝さん。コンセプトは“ふっくら美男子”
やがて戦争が終結すると、偶然はたまた運命なのか、解体された大仏さまの残骸が発見されます。「壊されたことは残念ですが、兵器にされなかったのは不幸中の幸いでした」と語る雲井住職。

残骸はお寺で引き取られ、歴代住職によって大切に保管されてきました。そして、平成3(1991)年5月9日、ついに二代目・兵庫大仏が建立されました!初代の残骸も溶かし込まれており、100年前の初代大仏さまに込められた想いは、しっかりと受け継がれています。
初代大仏が建立されたちょうど100年と1日後に二代目が建立されたことにも、数奇な運命を感じます 初代大仏が建立されたちょうど100年と1日後に二代目が建立されたことにも、数奇な運命を感じます
今回の取材を通して、兵庫大仏は多くの人々の想いが時を越えて受け継がれた存在であることを知りました。様々な困難を乗り越え、大仏さまは今日も街の人々を見守り続けています。

コロナ禍以来、大変なことが多い昨今、大仏さまのもとを訪れ、その圧倒的な包容力に包まれる、心安らぐひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。

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Kiss PRESS編集部:甘佐

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